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元奴隷の家に生まれ、ロシアで高級レストランのオーナーに登りつめた黒人の生涯 - 文春オンライン

『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた』(ウラジーミル・アレクサンドロフ 著/竹田円 訳)

 僕はフレデリック・ブルース・トーマスという名前を、彼の非常に面白い生涯を描いたこの本を手に取って初めて知った。フレデリックは明治初期に当たる一八七二年に米国南部で元奴隷の家に生まれた。差別と偏見の下で力強く生きた彼の人生を辿りながら、脳裏には常に我が祖父アーロンがいた。一八八〇年旧オーストリア・ハンガリー帝国南部でユダヤ人一家に生まれたアーロンと黒人のフレデリック、彼らの差別に対する対処法は対照的だ。

 南北戦争で勝利した北軍は一応奴隷制度に終止符を打ったが、人種差別的な全ての法令が撤廃されるまでには更に百年かかった。奴隷解放後はフレデリックの両親の懸命な仕事ぶりが実を結んで地主になったが、差別的な白人の脅しに屈してその土地を去る。十八歳の彼は黒人にもっと住み良い場所を求めてシカゴに出た。当時は世界中から米国に移民する人が多かったが、差別から逃れたい一心でヨーロッパへ渡って、二度とアメリカに戻らなかった。それからロンドンやパリでの経験を活かして、黒人に対する差別が全く無かったロシアで成功して高級レストランのオーナーになる。

 一方のオーストリア・ハンガリー帝国は名実ともに多民族国家であり、各民族に市民権を与えた。差別や偏見が消えたわけではないが、ユダヤ人にとっては初めて体験する法の下の平等であり、他国からも多くのユダヤ人が移住していた。アーロンは父の許しを得ずに一文無しで首都ブダペストに行き、赤貧の学生時代を経て地方都市の医者になった。

 二人とも結婚して子どもも授かって順風満帆に見えたが、第一次世界大戦が勃発し、戦争のせいでロシアもハンガリーも社会の混乱が続く。財産全てを失ったフレデリックは、かろうじて黒海を渡ってトルコに逃げることができた。イスタンブールでも成功したが、連合軍が撤退した際に民族主義が強まり、黒人であることが理由でアメリカのパスポートを手に入れることができず、一九二八年に一文無しで獄死した。

 一方、戦場に送られたアーロンは軍医として無数の負傷兵の腕や足を切断した。敗戦後のハンガリーでは反ユダヤ主義が強まり、家は放火され全焼。息子(僕の父)に「アメリカに亡命しよう」と勧められたが応じず、結局、妻とともに収容所で銃殺された。

 父から祖父の話を聞いた僕は、フレデリックの道を選んだことになる。親元と祖国を離れて安住の地を求めて放浪した末、ユダヤ人差別がない日本に辿り着いた。

 祖父アーロンの生き方も立派だったと思うが、僕にはやはりフレデリックの冒険精神に満ちた波乱万丈の人生が魅力的に思え、彼の人生を追体験しているようで、ワクワクしながら徹夜で読破した。大勢の人に読まれることを心より望む。

Vladimir Alexandrov/作家、ロシア文学研究者。亡命ロシア人二世としてニューヨークに育つ。プリンストン大学で比較文学の博士号を取得。ハーバード大、イェール大の教授を歴任。

Peter Frankl/1953年、ハンガリー生まれ。数学者、大道芸人。『数に強くなろう』『ピーター流生き方のすすめ』など著書多数。

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December 01, 2019 at 09:00AM
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